嚥下について

わたしも含め、ヘルパーの人たちも、母親のごはんの飲み込みは、今ほとんど正常に近い、ペースト食じゃなくて普通食でも大丈夫と思って来たけど、どうやら最近はそうともいえなくなってきた。

 

食べてる途中、度々眉間にシワを寄せ、しかめっ面になることがあり、大して気にはしてなかったのだけど、飲み込むのが苦しいの?と聞くと、うん、答える。

 

わたしなりに噛みにくいものは細かくしたりしてるんだけど、もっとトロミをつけたりってことが必要になって来ているのかも知れない。

日曜日に3ヶ月ぶりに嚥下の検査を受けることになってはいるのだけど。

 

一昨日までのショートステイで、朝の6時半頃ベッドで吐いていたことがあったそうだ。特にそれで体調が悪いといったことはなかったようだといわれたが、喉に絡んだ痰が詰まり、吐き出そうとしてゲロッたと、多いに思われる。

嚥下で有名な耳鼻咽喉科の先生の本を読み、クリニックへ診てもらえないかと連絡してみたが、介護の世界でいうところの「指示が通らない」母親は喉の筋トレ、リハビリができないわけで、それならペースト食になるか、ご家族の判断でもう好きなものを食べさせてあげるしかないんじゃないですかとツレナイ返事だった。

指示が通らなくても、どうにかする方法を知りたいから診てもらえないかと連絡しているのに。

 

88才、そうじゃなくても人はだれでも年老いて弱っていく。

なのに誰かれつかまえて、どうにかならないのか!!と迫っているわたしのほうがやはり間違っているのか。本のように、ピンピンコロリンにさせてあげたいと望むには、レベルが低過ぎるのか??

自分のやってることが、家庭内延命措置のような気もしてくる今日この頃だ。

 

やらなくちゃいけないことがあるのに、こうやってまず助走のようにブログを書いているのでした。

今日も慌ただしい1日だったなあと・・・

8月からブログ書いてなかったんだな。

インスタにone_by_one_biteというアカウントを作り、そっちばっかやってたからか。

初めはペースト食の紹介などしていたが、だんだん普通のものが食べられるようになり、そっちも中途半端になっている。

 

母親は、相変わらずよく食べてはいる。でも今日ローストビーフをもらったので、薄めに切って出しけど、やはり噛んで飲み込むのは大変そうだった。

夜中のいびきや、食事中のくしゃみなど気になることがあり、3ヶ月ぶりに往診の歯科医の先生に来てもらい、検査をしてみることになった。

 

きのう「母さん、ごめん」という、50代の独身男が認知症の母親を介護するドキュメンタリー本を読み終わった。

あまりにシンクロするところが多くて、みんなこうなんだなあと思った。

 

先週の木曜、訪問介護の看護師が来た。

しかし母親はその日からショートステイに行っており、インターホン越しの看護師の男性は異常なスマイルを作り大丈夫ですよーといって帰り、その後に「キャンセル料は必要ないですから」とわざわざ電話して来たくせに、わたしが母親のショートの予定を伝えてなかったことにムカついたようで、ケアマネにクレームの電話を入れたようだ。

お陰で母親の部屋にはショートの予定をマジックで書いた、大きなカレンダーが貼られることになった。はじめやだっていったんだけど。

 

そもそも介護が担当のケアマネは、医療スタッフとの連絡は基本しないのだ。

これがおかしいっていうんだ。

 

介護が必要ということは、病気だから介護が必要なんだ。

しかし病気だからって介護が必要だとは限らない。。

だから介護には必ず医療が含まれるんだから、一緒にするべきなのだ。

なんでそういう風にならないのかが、不思議だ。

メンドーなので経過報告というカテゴリーをつくりました

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6月30日だっけ?退院してから1ヶ月以上が経ち、母親はかなり普通のものが食べられるようになり、じわじわ元気になって、昨日は鰻を食べたせいか、今日は目を開いている時間も長かったし会話もかなりまともになってきたと思う。

といっても、普通の人と比べたら信じられない程度だけど。

8時になって、いってQを見ていた母親に(見ているというより、テレビの前に車椅子でいるだけといった程度)、わたしが日曜美術館を見たいからチャンネルを変えていい?と聞いたら、直接的ではないが、嫌だと否定された。これはすごいことだ。

わたしがいうことには大抵かすかにうなずいて、いいという程度なのに、イッテQの方を選ぶとは!素晴らしい。

 

なんでもブラウンのブレンダーでペーストにしていたのもが、おかゆみたいなツブツブになり、刻み+トロミとかになって、飲み物はいまでもすべてトロミつきだが、ごはんはやらかめならおかゆでなくてもいいし、おかずもかなりごく普通になってきた。さっきはキュウリのぬか漬けも食べさせたし。

 

ベッドに移すときに立たせるけど、その時わたしにかかる力がかなり少なくなった。急にといってもいい。自分で力を入れて立とうとしているんだと思う。

食事のとき、使わないのはわかっていても、スプーンやお箸なんか持たせておくのだが、自分で食べようという動きもしてくれることがある。実際には難しいが。

 

廃用症候群という言葉をはじめて知った。

簡単にいうと、病気だからと寝てばっかりだと、心身の機能が衰え、病気にもなって死に至るということだ。

病院では、この言葉は教えられない。肺炎が、心不全が、ひとつひとつの病気がよくなっても、よくなるために安静にすることで、逆に死に近寄づいてしまうのだ。

知らないというのは、恐いことだ。でも考えれば、これは誰でもが気づいている、当たり前のことなんだけど。

 

わたしはそれほど母親を動かすことは体力的に出来ないが、どこかに車椅子で出かけて刺激を受けさせたり、話しかけたり、今日は最近お気に入りの森山良子のアルバムを聴かせていたら、手で拍子をとり、自分の想い出とかぶるような歌詞の曲には、感動してしんみり聴いているようだった。

そういった心の揺れというか、身体だけじゃなく、心も動くことは大切だと思う。

要介護度5で、感動して涙を浮かべたりできって、そうあることじゃない。

 

さてさて、本題です。

ずっとつづけてきた智慧の扉というサプリですが、再開したいと思ったのですが高いので、レシチンサプリメントを探し、マヨネーズのキューピー製のあったので、これなら信頼できそうと、キューピーに変え、昨日から飲んでます。

飲む粒は変わらず、1日MAX6粒だけど、前のサプリよりホスファチジルコリンの含有量が少し少なくなると思う。

取りあえず少しの間試してみたい。

先日亡くなった日野原先生も、朝はレシチンやバナナだったそうなので、医学的根拠がないわけないんだよね。

 

元気に鰻でも肉でも、モリモリ食べているからって、いつ何時なにが起こるか分からないから、調子にのってはいけないとは想っているんだけど、それなりに夏を楽しみたい。

経過報告

6月30日に退院して来てから、もう3週間が経ったのか。

病院に面会に行くと、もっとしゃべっていた気がするが、最近は本当に覚醒している時間が短く、目を無理矢理開いても起きないので詰まらない。

そんな生活の中で、外出と食事くらいが大きな刺激だ。

最近は公園に散歩に行ったり、今日はミニコンサートに連れていった、それでも目が開かなかった。

でも帰ってきて食事をしていると、ポチポチとしゃべり出す。

今夜のメインは冷凍のTVディナーみないのだったが、一昨日新橋のとっとりおかやまショップで買ったカキのあっさり煮を出したら、一口目ですごく美味しいと叫んでいた。

もっと書きたいけど、眠さが限界です

経過報告

在宅医療をはじめた京都西陣の早川先生というかたが、自分自身が在宅医療を受ける立場になるというテレビ、2度目を見る。

病院は病気を治しても、その人の生活も治さないといけない、総合人間学が必要だというところ、総合人間学っていうのがどんな学問かよく分からないけど、そうだと思う。

肺炎なら肺炎という病気自体は治っても、退院後の生活はもとに戻らないということを今回の入院で実感した。

 

母親は、大分普通の食べものを食べるようにはなっているが、基本的にやわらかく、小さめで、トロミをつけたものを食べさせている。

今日はこの暑い中クリニックへ行き、診察を待っている間、トロミつきの冷水を飲ませていたのだが、口の中に溜めてしまい、先生に向かってブワーット吹き出してしまった。

あー時間だ、寝ないと

経過報告

智慧の扉はもういいなと、ほとんど飲まないでいたが、調子が悪くなったのは止めた時期とタイミングが合う気がして、昨日から手持ちの分を少しずつ飲ませることにした。

 

なぜ、嚥下機能が急に低下したのか。

昼暑くて、夜涼しい日が結構つづき、タオルケット1枚で寝て風邪を引いたり、そこから肺炎を起こしていたのかも知れないなどと、つい原因探しをしてしまう。

医療関係の人たちは、大脳皮質基底核変性症という病気が進行しているせいだから仕方ないという表現をするが、わたしにはどうも100%納得出来ないところがある。

MRで脳の萎縮が進んでいないというのも、その理由のひとつだ。

医者がいうより、進行は遅かった。そしてこの病気は血液検査など数値で分かるような病気ではない。この点は、わたしの病気とおなじだ。

88という年齢では、様々な衰えは仕方ないとは思うし、退院後さらに無表情になってきた様子を見ていると、病気の進行というしかないとも思える。

しかしわたしだけが感じる母親の絶望感、小さな喜びなど心の動きを見ていると、まだ戻ってこられるのでは、単に2週間以上入院して放置状態になり、気落ちしてしまっているだけなんじゃないかと、そう思えてしまう。

今夜は市販のソフト食を用意して出かけたが、ヘルパーさんに聞いたら全部食べたそうだ。驚きだ。

美味しいものなら食べる!(わたしの作ったものは食べない)それなら美味しいものを沢山食べさせれば元気になれるのではないだろうか?

そんなわたしを周囲の人たちは、あのバスのじいさんのように、笑っているのかも知れない。

母親の食事をヘルパーさんにまかせ、外出して少しスタバで休憩し、帰ってきた。

元気に帰ってきてスーパーで2割引で買ったにぎり寿司を一気に食べ、何かしよう!と思ったものの、急に疲れ床に寝た。

 

夜、多分日曜か?

わたしは会う人も行く場所もなく、寂しく夜の街を歩いている。

すれ違った車が、大嫌いな友達の車らしかったのも象徴的だ。

そうだ、分かれて住み始めた母親の家に行こうと考える。

歩いているのは青正公の近くか。

行こうかと思ったけど、それがどこだったのかがはっきり思い出せない。近くへいって歩けば分かるんじゃないかと考える。

魚屋が何軒か並んでいて、母親の好きな魚を買って行って一緒に食べようと思う。でも、明日は早く家を出なければならないから、食べる時間はあるだろうかと。

魚屋の軒先には何かの切り身が並んでいるが、母親が好きそうなマグロの刺身はないなーと迷っているあたりで目が覚めた。

暗く静かな街。わたしは公園で面白い風景を見つけ、写メを撮る。人は少なく、わたしは寂しさに包まれている。誰も会う人もなく、明るく若い母親のパーマをかけた顔が目に浮かぶ。父親はもう死んだから、誰と付き合っていたっていいんじゃないか、もしそうだとしても、わたしは許せる、そんなことも思っている。

 

1時まで、2時間くらいうたた寝している間に、こんな夢を見た。

なんて今の自分の潜在意識をよく表しているのだろう。いや、夢自体が潜在意識だからね。

いってしまったのじゃないかと、眠っている母親の部屋を見に行く。

安らかな寝息を立てて、母親は眠っていた。

昼間、母親の顔を見て、昔の顔を思い出せないなと思ったからだろうか。

自分の近い将来を表しているのだろうか。

なんとも寂しい夢で、母親の若い顔だけが、優しく活き活きとして、輝いていた。