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ベタッと貼り付く

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木曜日の早朝だったか、一度起きたとき左の耳の上、側頭部の毛穴に何かがベタッと貼り付いているような感覚があり、これは一体なんだんだ!と驚いた。

2度寝して起きた時には消えたいたが、さっき夕飯の支度をしている時、また同じような感覚があった。

脳梗塞か、さもなきゃ帯状疱疹の再発か、と思ったが、知恵袋では眼精疲労によるものだとあった。同じ神経系統みたいで。

それを百パー信じるわけでもないんだけど。

昨日遅くまでかかって台所を全部キレイに片づけたのに、今日3食作ったら、また食器が溢れかえってしまった。主婦が嫌う男の料理、本格派スパイスインドカレーを作ったあとみたいに。だんだん温かい日も出てきたので、排水口が臭って、おまけにぬか漬けのぬかなんかも流してるから、雑菌も繁殖しているのだろう、生ゴミの臭いがきもい。

爪の中も生ゴミ臭い。早くまともなぬかを買って、ぬか床を整えないと。

 

エリザベス・ペイトンが見に行きたい(一瞬名前忘れ、思いついたのがアレックス・カッツだった 確かに同じ系統だが、なんで全然違う名前思い出したんだろう...)、ララランドが見に行きたい、プールに泳ぎに行きたい、スポーツセンターのエクササイズのクラスに出てみたい、友達にバッグを作りたい、請求書を発行しなければならない、甘酒を作りたい、散りぎわだろうけどあの枝垂桜の写真を撮りに行きたい、新しい服は今年はいらないよ くるぶしがでるパンツはとっくに買っちゃったし ただ新しいスニーカーに噴射する防水スプレーが欲しい、温泉や北海道や沖縄にも行きたいと思っていたんだった、今月はもっと物を沢山作る予定だった、二子玉川のレストランにも行ってみたいが、そういえば4月の初めは徹底的に家を掃除するんだった、

 

予定が狂って、なんもしてねー

唯一したのは、一昨日レンタルチャリで竹芝の倉庫に写真展を見にいったこと、そんくらい

 

早くいっぱい寝て(最近はもういっぱい寝れないけど)、いつ何をしてもいい状態でいられるよう元気にしてることが必要だ。

だからもう寝よう。

卒業の春

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去年の4月から始まった仕事が、1年満期で終了する。

昨年末悲鳴をあげ、1月に約1ヶ月弱休んだけど、それをのぞけば毎週締め切り仕事をこなして来た訳だ。穴を開けたことは、一応なかった。

次のお題について頭を悩ませ、夢にまで出て来てノイローゼになるんじゃないかって状態の時期も大分あった。いつもお天気を気にして、帰る時間を気にして、夕飯をどうするかを気にして、いつも追われている1年間だった。

先週最後のお題を提出して、今週の中頃までに何かクレームがなければ完了だ。

一時、もう1年やってくれないかという話もあったようだが、またブーたれて態度悪かったから、わたしに回って来なかったんだろう。

わたしに仕事を回してくれた会社は、もしかしたら他の人でその仕事を続けるのかも知れない。知れないけど、そんなこと知ってもしょうがないから聞かないけど。

これまで知らなかった場所に色々行けたり、知らない人に会えたり、たまにはごちそうしてもらったり、普通考えれば大変よい経験だったんだろうけど、更年期を含め持病?がしんどすぎて、「しむしむ(死ぬ死ぬ)」といつも驚怖を感じながらやり続けるのは、やっぱりかなりしんどかった。

文章を書くことは全然上手にならなかったな。初めの頃のほうが熱心だった。図書館にもよく通ったし。

しかし、調べながら、考えながら、決められたお題について書いていると、途中から脳が飽和状態に陥り、考えられなくなる。いくら考えているつもりでも考えがうわ滑って、結局前に進まないし、まともな内容にならない。このブログと大差ないというこだ。

写真を撮るということについては、納品先はクオリティの低さに閉口していたようだが、たまにはヒットも打ったと思う。しかし昨日読んだ写真家の人のネットの記事では、プロなら6割りが使えるものでないとダメだとあった。わたしは3%くらい?いや、それ以下。まー、1年やって、2〜3枚はあったかなというところ。

でも数やるってことは、それなりの成長もあった。どの時間帯に撮ればいいかとか、どうやったら空の色が白飛びしにくくなるかとか、最後の頃にようやっと分かって来た。

遅かったね。

でもバイトの合間に撮り貯めた写真で、いいこともあったから、少しは成長もあったのだろう。

何もやっても、やって無駄ということはない。それは世の中でいわれてるだけじゃなく、わたし自身も実感だ。だからこの1年あったことが、後々何かで生きることがあるかも知れないよね。

 

今日は疲れて座椅子を引っぱり出し、ゴロゴロ寝てたら首が痛くなって、このままではいかん!と、引きずり起きて外へ出掛けた。出掛けてしまえば、元気になるから不思議だ。

きっとよく分からんけど、交感神経と副交感神経の問題だ。よく知らない。

あー眠い眠い   寝るよ

フェフ姉さん

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最近テレビで久々に大笑いしたのが、フェフ姉さん。

マツコの番組でやってたんだけど、滑舌が異常に悪くて、「フェス」ってのが言えず、どうしても「フェフ」になっちゃう。

他にもイチジクとかまともに言えない言葉だらけで、見た目はヤンキーくずれみたい、金髪で顎がすごく小さい。

滑舌が悪いのは最近の若い人の傾向みたいで、柔らかいものばっかり食べていたりすると、ちゃんと口の中が発達しないんだろうな、ちゃんと発音が出来なくなっちゃうようだ。

ハゲだって笑いのネタだし、バリバラ見てたら障害をみんな自虐ネタにはしているが、フェフ姉さんをマツコをはじめみんなが笑うのは、やはり病気の人を笑っているみたいなもんで、本来人道上はNGのはずだ。

でも落語の中に出て来る与太郎を、長屋のみんな笑うみたいに、フェフ姉さんはみんなに笑われる。

でもフェフ姉さんは、自分の滑舌が悪いことで、みんなが笑って楽しんでくれれば嬉しいという。

フェフ姉さんは何をやってんのか知らないが、渋谷にあるこぎれいな部屋住んでいて、絵の才能があり、デザインとかの学校に通っているのかな?

とても不思議な才能というか、気質を持っている人だ。滑舌が番組のせいでよくなるのかどうか知らないが、どんな風に生きて行くのかなあと、自分のほうが頼りないくせに、姉さんのことを思ってしまう。

笑われて、傷つく人、嬉しい人、心を痛めて引きこもってしまう人、色々だが、いじめとどう違うって、ほんとスレスレだよね。

みんなフェフ姉さんみたいに、強く優しくなってくれるといいと思う。

それみたことか!

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これが君が代にも出て来る、さざれ石です。歌に出て来る石ではありません。そういった石の種類なんだって。

 

今日は住民票を取りに、母親を連れてく役所へ行った。住民票にはマイナンバーが書いてあるって、知ってました?

住民票って他人でも取れるんだっけ?だとしたら、ナンバーもバレちゃうじゃん。

誤った知識だったらごめんなさい。

 

わたしの体調について。

数日前から、なんだか調子がいい。死ぬような疲れが出ていない。

でも今日は区役所でまたパニクった。

今抱えてる大きな問題について、ある人と住民票が出るのを待っている間、電話で話しをした。そうしたら、その問題がまたわたしにっては重すぎてとても負担に感じられて、指の先が冷たくなり、胸が苦しくなった。すぐ薬を一錠飲み、さらに一錠追加した。

そういう時、1人だったらまだいいのだが、母親が一緒だと、母親の保護者がわたしでもあるので、余計どうしようと思ってしまう。だってそこらにほっぽっておく訳にいかないし。

心臓発作になるのかと、また思う。区役所には顔見知りの人が何人かいるので、もしわたしが救急車を呼んでもらったり、AEDが必要になったりしたらその人たちにもすぐ分かってしまい、気まずいなあと思う。

死ぬ前は、一生のことが走馬灯のように頭の中をめぐるというが、今日のわたしは友人知人の顔や言葉が、押し寄せて来た。

「ほーら、だからわたしがお母さんを早く施設に入れたほうがいいっていったじゃない!そうしないから、そんなことになるのよ。」とか、「あー、やっぱりね・・・」みたいなみんなの顔が、声が。

少し前、友達にそういわれ、その後新聞の人生相談でも、そうしないと老老介護で、あなたの人生は台無しになる、早く鬼になっても施設に入れなさいと書いてあって、でもわたしがわたしなりにやって来た方法で、母親は思ったほどに体も頭も機能が衰えていないし、波はあるけど、お箸持ってごはん食べてる時もあるし、出来ない時もあり、椅子ごと床に転げていた時もある。

でも、自分で噛んで何でも食べるし、マジックで紙にグチャグチャ何かを書いたりもしてたし、このままもう少しいけるのではないかと思えていた。

お金も労力もかかり、人の手も沢山借りるけどね。

わたしがもしどこかまともな企業で、まともなお給料でももらってる状況なら、考え方は変わっただろうけど、わたし自身、今まともな収入ないからね。なんだけ、いい年してすねかじってるの。それだから、だから、わたしがここに1人で大きな顔していて、母親をどこかの施設に入れてしまうのは、まだ考えられない。

 

薬が効いて、わたしは住民票を受けとり、税理士さんのところへ行って、今年の申告のためのわたしの作業を終えた。あとはお任せだ。

2時過ぎていたので、外でお昼を食べることにし、中華がいいと意見が一致し、3時までランチライムをやっている近くの中華屋に入った。

わたしは定食、母親はタンメン。どうにか小鉢に分ければ食べられるかと思ったのだが、小鉢でも重たくて持てない。結局、コートにこぼしまくって、コートは油汚れだらけになった。

ちゃんと食べられなは、出来ないのは分かっていても、本当に頭にくる。

割り切って、ぜーんぶ食べさせてあげちゃえばいいのだが、自分も一緒に食べようとすると、イライラしてまたブチ切れることになる。

 

と、わたしの話をしていたのが、また母親の話になっちゃったが、今日からはショートステイだ。

さっき荷物を届けに行った時は、口には出さなかったが、とても帰りたそうな表情だった。

昔は可哀相と思ったが、最近はせいせいして帰って来てしまうわたしである。

経過報告

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最近の花ちゃんは、なんか頭がはっきりしていたと思う。

ヘルパーさんたちもそういってたし。

この一週間程、メマリーとドネペジル(認知症の代表的なクスリ)が切れて飲んでいなかった。頭がはっきりしていたようだったのは、それが原因だったのかな。

認知症のクスリも向精神薬に入るのかどうか知らないが、精神のクスリって、頭がぼんやりしたり、意識障害とか出るよね。花ちゃんの場合もうかなりの年月おなじクスリを飲んでいるから、切れていたとしてもそう影響はないんじゃないかと思うけど、今日クリニックへ行き、クスリ再開したので、またぼんやりしちゃったりしたら、報告したい。

経過報告

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今日は花ちゃんの88歳の誕生日だった。

米寿っていうの?

もちろん本人にそんな自覚はないが、一昨日の日曜日は日本橋三越のお好み食堂へお昼を食べに行き、春物のカーディガンをプレゼントとして買って来た。でもお金は花ちゃんの財布から出てんだけど。

今日はケーキを買い、夜のヘルパーさんに協力してもらい、お誕生会をした。

といっても、適当にあり合わせでごはんを作り、イチゴのケーキに苺のローソクを乗っけて、ヘルパーさんとわたしでハッピバースデーを歌い、ロウソクを吹き消して!といったけど、それは分からなかった。

日曜買ったカーディガンにリボンを掛け、ヘルパーさんから渡してもらった。自分で選んでいうのもなんだが、普段着ないような服な割りに、よく似合っている。

 

その前、リハビリの先生が来た。

驚いたのは、いつも座っているリビングの椅子の肘掛けに手を置いて力を入れ、立ち上がろうとしたことだ。

立つも座るも他人任せで、自分で立つなんていう脳の回路はもう失われてしまったと思っていたのだが、自ら立とうとする気持ちが花ちゃんには残っているのだった。

それを見て・・・

結局は自力でなんて立てなかったのだけど、今日は調子がよく、歩行器を使ってマンションの廊下を一周以上出来たようだ。

機能は低下するしかないと思っているけど、こうしてよくなることもあるのだ。

日曜日やはり驚いたのが、日本橋へ出かけようと車椅子で花ちゃんの部屋から出る時、ベッドの上に乗っているピンクのカーディガンを取ってといったら、少し時間はかかったが、取ってくれたのだ。

ピンクのカーディガンが何かと認識すること、それを手にとるということ、両方とも出来ないと思っていたけど、日曜日はその回路がつながっていたのだ。

夜ヘルパーさんが来て、入歯を外し、歯磨きをしてうがいをするのだが、以前は入歯を外すために口を開けることがまずできなかった。まだわたしがやればできたが、わたしがやっても指を噛まれたりよくした。

でも最近は、素直に口を開け、入歯を出すらしいし、あんなに嫌がった歯磨きも、ちゃんと口を開いたままで、やってもらっていた。

ただ、口をゆすいで洗面器にぺっとすることが出来なくて、たまにゆすいた水を吐くが、大抵飲んでしまう。

でも、入歯の入れ外し、歯磨きなど、花ちゃんはちゃんと習慣化されている行動に慣れて来ている。それは、記憶とはいえないのかも知れないけれど、習慣的な感覚ならば、鍛えられるということなんじゃないか?

脚に筋力がつき、立ち上がるということが習慣化すれば、ひょいと立ち上がることが、今からでも出来るんじゃないかと思えてしまう。

脳の機能、運動機能は退化しても、習慣的な行動は身に着けて行くことが出来るということだ。

ただ、それは毎日根気よくやらなくちゃいけないわけで、誰がやるかって問題になるよね。

 

きのう花ちゃんは、朝の機嫌が悪かったようで、デイサービスを休んだ。

でも体調は悪くなかったので、起きて一緒に過ごしたが、こういう時は一日三食を共にしなかればならない。

作っても食べてくれるんならいいが、ぐちゃぐちゃにされて、食べずにおしまい、それが朝、昼、夕と続いた上、テーブルにあった花瓶を倒したため、置いてあった書類までビチョビチョになった。

わたしは起こってまたDVをした。

やはり、溜まって来ると切れてしまう。

周辺報告

久しぶりに友達に会ったら、なんかとんでもない方向へ行ってたりする家もあって、わたしは基本的に今元気じゃないから行きたくなくて、当日ドタキャンしようかと思ったんだけど、着て行くものが決まったら、前向きな気持ちになったから行って、初めはブーたれた顔でいて、みんなが色々いうけど、わたしはこのまま何も言わずに帰って、そのまま悶々とし続けようと思っていたが、みんながかなり白熱してきて、そうしたらわたしもぶちまけとかないと損だ!みないな気持ちになって、誰かの話を遮り、しゃべらせろ!といって泡吹きながらしゃべったら、みんなはわたしよりかなり上手なので、それはこうすればいいんじゃない、といわれてほぼ終わってしまった。

おかげさまでスッキリはしてよかった。

それから深夜まで代官山蔦屋という、こんな時間にこんだけの人間がなんでここにいるんだみたいな店で、ギャーギャーしゃべって、周囲の人たちはさぞや迷惑だったと思うけど、あと20年も経てばみんなおんなじよ、ってことで許して欲しい。

 

今、ジレンマという番組を見ている、というかつけてる。

いつも何いってんだけわかんない、大体言葉がわかんない言葉だらけだから。

 

その前は、自閉症の人と、その人たちが作り出す作品?のことをやっていた。

これまで思わなかったんだけど、自閉症発達障害?、アスペルガーとか、詳しくないけど脳に障害を持って生まれてきた人たちというのは、成長の仕方が違うというか、

成長できないということことがあるんだろう。

こどもの描く絵はどれも天才だ。大抵。でも、成長発達していくうちに、それに既成概念と、常識とか、そんなようなものが積み重なり、天才性は失われてしまう。

ただ、成長が不可能な人は、いくつになってもおなじ制作活動、本人はそう思っていないかも知れないが、何かを生みだしたり、何かをし続けたり、そんなことをつづけ、そして天才でありつづけることができる。それが、障害をもつ人たちのアートなんじゃないかと思う。

例えば、すごく細い線を大きな紙の端から、間隔も変えずに描き続け、紙を埋め尽くせる人がいたとする。それを故意にではなく、小学生が面白いからするように続けられるか、何かの思想や技術の鍛錬や、天才性をもって続けられるか。両方をおなじ括りのアートと呼ぶのか。障害者アートというのは、芸術のなかでも独立したものなのか。わたしはそう思うけど。

だって、そういう人の作品は、ゴッホの作品のような存在にはなれないでしょ。

 

そういう意味で考えると、わたしはこども天才的な部分もなく、常識まみれで、希有な才能も発想もない。でもやりたいことはひとつではなく、あれもこれもやりたくて、なのに実際はなにもしてない。

してない、というところで、これじゃダメじゃん!なのだが、なんか最近はそれでもいい気がしている。器用貧乏にもいたらないけど、今さら何か1つに目標を絞ったって、意味あんのか?!

 

そんなことより、寝ないと