♪ 手を伸ばしても どこか遠くへ飛んで行く

分からない。元に戻せばいいようにいわれると、そうだよなとは思うけど、もうここに7年くらいいて、もういいんじゃないかという思いもある。コップから液体が溢れたのは、特別な状況が重なったからなのだろうけど、だからって溢れさせてしまったのはやはりわたし自身の考えで、覆水を盆に返すということは自分を否定することのようにも思える。

発展性のない立場、それに更に輪をかけられるらしい。一体わたしの何が悪いのか。分かるようで分からない。

もう自信ないんだけれど、それでも体力があるうちに自分で動いてみたい気持ちもある。だって今日という日が一番若い。

きっかけがあれば・・・なんて思ってしまうけど、よほどの事がない限り、例えば人一倍の努力とかね、そういうものがないと美味しい話は転がってはこない。思い返せば美味しい話があったとき、わたしはチャンスの神様の前髪?を掴みそこねたんだろう。わたしとしてはタイミングが悪かったと思うのだが、あれがチャンスそのものだったのだ、きっと。

なに書いているか分かるようで分からないようでしょ。自分でもなんだかよく分からないのよ。それに誰かに検索されて見つかったりしたくないし。どちらにしても具体的なことは書けない。

気分を変えるために自分の体を代償にするという手もあるが、それはどうなのよ。体だよ!そんなことの理由にするなんて倫理的に間違っているよ。アンジェリーナじゃないんだし、そう簡単には決断はつかない。

あした何かしらの結論がつくのか。どちらにしても恐いことだ。協調性もないが、決断力も思い切りも勇気もなにもない。

時間が解決しますよといってくれて、しばらく様子をみたら?といわれたけど、そうもしていられない状況になってきた。

肉体も精神も限界のあるコップであることは同じ。

人なんて関係ないようで、良くも悪くも所詮人なのも事実。

自分を劇的に変えてしまうような言葉などどこにも転がっていず、性格なんてものはいくつになってもそう簡単に変わりゃしない。

付かず離れず、そういう器用なことタイプだったらな。全部いっちゃうか、やっちまうかのどっちかなのだ。

今日は景気付けにOPUS1を聴いたけど、DOWN TOWNもパレードも空しく流れさった。久しぶりに聴いたWINDY LADYのはじまりにはあらためて感動したけど。

道を歩いていたり、コーヒー屋で呑気にアイスコーヒーなんか飲んでると、すべてが現実でなく悪夢のようにも思えけど、今日はこのまま明日へとつづくのだろう。

寝ないと。

 

 

わたしの見ている世界はきっと本当に狭い狭い世界なんだろう。地球の中心のように思えることがあるが、それはわたしが広い世界をしらない蛙だってことだ。

あの世界の中に渦巻いている価値観みたいなもの、クソくらえ!といっちまえ。

わたしというものがないから、狭い世間に執着してしまうのだ。常識的な考えかたに誰もが犯されている。こうしなければならない、こうすることが普通だ、こうする人がいい子ちゃんだ。

中途半端なわたしはその枠の中にも外にもいず、確固たる価値観も持たずに適当に生きている。だからこういうことになる。

どこか知らない遠くの国で日がな一日路上の屋台で肉を焼いて暮らす人。そんな人だってわたしと同じように生きていることには変わらないのだ。

わたしの居場所は他にないのか!わたしに相応しい場所は!誰でもおなじようなことを考えて生きているんだろうな。

問題はその場所を探すために現実的に動いているかどうかだ。

どこに向かってどう動いたらいいのか?そんなことを52にもなってまだ分からないようなヤツは、まともな後半は迎えられないだろう。

切りがない、切りが。