●●は×月の予定だから頭に入れておいて、とメールがあったので、そのタイミングになったら知らせてくださいと返信をした。先日会った時、そうじゃなくてその後のやりとりをやって欲しいという意味なのだからそこまで汲んで話を進めて欲しい、といわれた。
わたしは「予定」と書かれてあったので「本当に決まったら教えて欲しい」というつもりで返信したのに、それは間違っていたんだろうか。きっと「かしこまりました」とだけ書けばよかったのだろう。
「予定」という文字が入っていなければその後の作業は勝手に進めていたと思う。「×月だからよろしく」それだけのメールだったらそんな返信はしなかった。
そのことを考えていたら頭にきて、「予定と書いてあったから本決まりになったら教えて欲しいと返信したのだ」とメールを送ろうかと思った。
きっとそういうことが馬鹿なんだろう。
分からなくても最悪の状況になるほど困ることでなければ、「かしこまりました」とだけ書いておけばいいのだ。そしてどうしてそのような返信をしたか、更に上司を否定するようなメールを送ればもっと馬鹿なのだ。
わたしはこうしようと思ったことはせずにいられない。よくしなくて後悔するよりは、して後悔した方がましというが、それを信じてしまう。
理由のメールを送ったら自分を否定された上司は自分が悪かったと思うどころか、わたしの馬鹿さを更に確信し腹を立てるだけだ。
あたりさわりなくしていることがわたしのような馬鹿には正しいのだ。

 


そもそも会って話した時、「予定と書いてあったので決まったら知らせて欲しいという意味だった」と即座に言えればよかった。いるでもそうだ、何か言われても、何かあっても、その場でぼんやり考えるのだが、それが形となってすぐ口から出てこないのだ。
これはいわゆる反応が鈍いとか機転がきかないとか、そういうことだ。いつも後になって思いがメラメラ燃え上って来て悔しい思いをする。その場ですぐに冷静に理路整然と反論したり批判したり出来ない。これも馬鹿のひとつ。
結局こうやって自分が馬鹿な理由を考えている。
そしてそれは自分に自信がないからなんだとか、いつもリラックスしていられないからなんだと考える。
いつもいつも同じことの繰り返し。成長もなし。どうしてこの年で非正規採用といか人にまで言われなければいけないのか。馬鹿だから。
だ けど今わたしは自分の周りにいるすべての奴らのことを馬鹿野郎だと思っている。陰で人の悪口を言うくせに、表面面ではニコニコと会話している奴らのことを 嘘つきの馬鹿野郎達だと思っている。そうすることが一般常識的には当たり前で、器用ということでもないほど当たり前のことなのか。お利口さんとはそういう ことなのか。
そういうことを考えていると、益々話をしたくなくなる。自分も同じように心の中では馬鹿にしているくせに、表面で笑って付き合えるようなインチキ野郎になってしうようで。
こういうことっていくつ位の人間が考えることなんだ?52でこんなでそれだけでダメだろう。ゴッホは耳を切ったが、あれは30代ぐらいでしょ?いい年をしてかっこ悪し情けない。
かっこ悪いし情けないことも自虐的に笑い話に出来ているうちならよかったのだが。
辞 めたくなる、ここをすぐにでも出て行きたくなる。そういう気持ちを抑え込んでいることがわたしの精神にさらにどういう影響を与えているのだろう。今にも ぶっ壊れそうな、よくぶっ壊れないで持っていると思えるような、あるいは既にぶっ壊れているが自分には分からないのかもしれない。
ねぇ、わたし壊れているの?
元々壊れているんだから仕方ない。