母親はもう自分の薬の管理が出来ないので、ヘルパーさんと病院へ行きもらって来るのをわたしがハサミで切って1日分ずつピルケースに入れておき、朝それを小皿に入れて出しておく。最近は凸の出っ張ったところから薬を押し出す動作が出来ないので、半分だけ出して取り出しやすいようにして出しておくようにしていた。

さっき今週分をピルケースに分けようと新しくもらってきた薬袋から薬を出したら、2週間分がぜんぶシートから出して1日分ずつ紙に包んであって驚いた。

そこまで気をつかってくれたことにではなく、なんでそこまで余計なことをするのか!と驚いたのだ。

朝1日分をお皿で出しても、変なところに飲まないまま1つ2つ転がっていることがよくある。近頃は全部口に入れるのを見届けるようにしているが、飲み込むまでは待っていられない。もし後で口から出してもそんなこと知らないってことにしている。

こんな状態だが、今なら半分出しかけなら自分でシートから薬を取り出すことが出来る。でも出してしまったものをあげるようにしてしまったら、もうシートから出すことさえ出来なくなってしまうだろう。クリニックでは家族のためを思ってしてくれたのだろうけど、とてもがっかりした。相談してくれるべきじゃないかと思う。わたしはわたしなりに毎日母親の様子を見て、このくらいなら出来そうだとか、これは毎日続けていれば出来るようになるのではと思って、なにかやらせるようにしている。

そうでなくても出来なくなることばかりなのに、こっちが何でもやってしまったらもっともっと何も出来なくなる。

時々思う。能力は確実に低下する一方だといわれているのだから、80過ぎた年寄りに無理なことをさせないで、何でもやってあげたほうがいいのではないかと。

ヘルパーさんというのは難しい存在で、ヘルプしないで代わりにやってしまっているのをたまに見かける。一緒に病院へ行った帰りはお腹が空くらしく、駅の近くのパン屋でパンを買うことがよくあるようだ。わたしとしてはそんな時、本人にお金を出して買物をさせてやって欲しいのだが、きっとヘルパーさんが会計をしてくれているのだろう。

母の姉であるわたしの叔母は、認知症ではなかったが頭の中に水が溜まる病気で頭に穴を開けるような大手術をし、後半何年かは言葉を忘れたようにまったくしゃべらなくなってしまった。元々糖尿病の合併症で眼底出血という病気になり、視力がほとんどなかったが、それでも陽気な人でテレビは頬を画面につけるようにして見てケラケラ笑い、友達や親戚に電話してはやはりよく笑いながらよく長話をしていた。頭の手術をして髪を丸刈りのように短くした後も、帽子をかぶり都バスに乗って渋谷の東急へ食料品を買いに行くのが大好きだった。よくうずら豆やおからの煮物を買って来たけど、買物をする時はお金が見えないのでお財布ごと店員さんへ渡し、ここから取ってくださいといってお金を払っていた。そうだ、考えれば頭の手術のあとも元気だったしボケたりしていなかった。いつからしゃべらなくなったのか、何を契機に話さなくなったか、はっきりしたことは今思い出せないが、ひとつの大きな理由に叔母の好きだったことを取り上げられてしまったことがあると思う。それは料理であったり、お中元お歳暮の品物選びであったり、好きだったことをやらせてもらえなくなってしまったのだ。その家にはお嫁さんがいてお手伝いさんがいて、おまけに一時期わたしもいた。叔母が話さなくなったことの責任は、わたしにもかなりあると思う。危ないからとか、優しさのつもりでもうやらなくても別の誰かがしますからとか、そういうことが重なって叔母は自分の存在価値を失ったような気持ちになりしゃべらなくなってしまったんじゃないかな。

出来ない部分をヘルプ=助けながら、それでもやりたいと思うことをやらせてあげていれば、叔母はあんなにはならなかったと思う。

さっき叔父が突然遊びに来たせいか、叔母のことを久しぶりに思い出してしまった。

そんなことを経験して来たくせに、母親にはひどいことをしてしまう。やることを取り上げるどころか、虐待に近い。でも先週の日曜、外で一緒にケーキを食べた時から少し気持ちが変わって来たような気がする。でも出来ることをなるべくやらせてあげるようヘルプするというのはとても難しい。なんといっても忍耐力がいる。だって自分でやっちゃったほうが全然簡単なんだもん。食事の支度をしている時、気分がいいと「何かすることない?」と覗きにくる。何十年も日に三度三度食事の支度をして来たのだから、自分も参加したいのだ。料理というのは苦痛でもあるが、楽しみでもあるから。

ちょうど簡単な作業があれば「これお願い」と頼むこともあるが、ごはんをよそってと頼んでも目の前の炊飯器の開け方、その脇に刺さっているしゃもじの存在、自分の茶碗もよく分からないのだから本当に面倒だと思ってしまう。

でも何か作業をすると自分もごはんを一緒につくったと思えるようで、楽しそうにしている。当たり前のことだけど、自分の存在価値が感じられないというのが人にとっては一番辛いことじゃないかな。この2ヶ月くらいの間に母親の調子がガクンと落ちたが、それはわたしが帯状疱疹で入院した時、その状況をどうせ理解出来ないだろうとまったく説明しなかったことが原因かもとよく思う。入院中弟の家に預けたとき、嫁さんに「母親の自分に何にも説明してくれない」と文句をいっていたそうだ。その時のわたしは今よりもっと精神的に余裕がなかったし、眼から頭から酷い腫れと痛みでそれどころじゃなかった。後悔してもどうにもならないのだが。

ちょっと短く書こうと思っていたのにまた長くなった。

出来ないことでもあきらめないでやらせるようにしたいと思うが、それには一番状況を知っているわたしが補助するのがベストだ。でもそうするにはわたしの場合かなりの精神的な余裕が必要で、いつも両方を天秤にかけてはジレンマに陥ってしまう。他人が考えるヘルプの形と家族が考えるそれとはやはり意味が違う。

認知症という病気の病人に対し、他人は希望など持たないが、家族はやはり希望ということばを捨てられない。あきらめられない。