人生は主観的に見れば悲劇だが、客観的に見れば喜劇だ。

 

これはわたしの好きなチャップリンのことば。前のブログでも何度か書いたな。

ブログに書いてしまえば、さっきのことだって単なる喜劇だ。人のことだったら「おじさん、ボケちゃってるねー!ガハハ」で終わるんだろうな。

ちょっとの間、食事の支度もする気になれず、夜のニュースを見ていた。オリンピックが東京へ来るのか!その話ばっかり。しかし外国人が一番知りたい、またはつっこみたい放射能の問題の答えは一向に画面には出て来ない。何億の金があって首相が責任持つっていってるからだいじょぶです。こんななんの説明にもなっていないことが、一体答えになるのか?問題が解決出来るかどうか、日本人の中に確かな答えを知っている人なんていないんだろう。解決できないという答えを持っている人は結構いるんだろうね。

お金があって安全だからだいじょぶです。借金まみれの国なのに、誰も答えをだせない一番大きな問題を解決できないままなのに、あんなナイキのスニーカーみたいな競技場何十億もかけてつくったりして、一時的な雇用は生まれるかも知れないけど、オリンピックが来て儲かるのは限られた一部の人で、小さな町の商店街の八百屋さんまでうほうほ儲かるとは思えないけどね。でも小さな町の商店街の八百屋のおじさんが、オリンピックが嬉しくて楽しくて、幸せな気分になれればそれはそれでいいのかも。喜んだおじさんはオリンピック記念セールなんかして、茄子やきゅうりの安売りでちょっとはいつもより売上よくなるかも知れないもんね。

でもやっぱり、元オリンピック選手たちが雛壇に並んだ記者会見の席で、汚染水問題の具体的な解決方法、記者達の大半を納得させられるような解決策を誰かが説明できれば、外国人にとっても、そして日本人にとっても一番よかったんだろうな。

でもそんなイライラする記者会見の状況をただタラタラと説明するだけのニュースは、くっだらないなーと思っちゃう。元NHKの池上さんは見ていてどう思っているでしょう。

そんな半うかれのニュースのあと、被災地で1人で心筋梗塞で亡くなった元クリーニング屋さんだった男性の話を見る。昨日たまたま新聞で、被災地の人たちは自分の住んでいた場所が元通りになることが復興じゃなく、復興のなかで生きたということがその人の復興そのものだというような記事を読んだ。元クリーニング屋さんの男性は、その途中で力つきてしまったらしい。

あまちゃんにはあまり出てこなかったが、震災のあとは東京に住んでるわたしたちだって今考えればそれまで感じたことのないような、ものすごい閉塞感の中にいた。毎日毎日津波と原発事故のニュースを見つづけて、おかしくなりそうだと思った人は多かったと思う。

元クリーニング屋さんの男性のニュースを見て、あの頃の息苦しさを思い出してしまった。大きな問題が解決していないのに、そして見通しがつかないのに、うちへうちへといっている姿はあまりに現実とのギャップが大き過ぎて、なんだか見えない恐怖を感じて不安感を煽る。

高度成長期のはじまり?ちょうどわたしが生まれた頃に建ったビルは、耐震問題もあってちょうど建て直しの時期だ。64年のオリンピックで生まれ変わり、そして老朽化したものを一掃して生まれ変わらせるいい機会なんだろうか。外国から人がたくさん来てお金がたくさん落ちて、日本は潤うんだろうか。東京だけじゃなく、ほかの土地にもお金が落ちるんだろうか。復興の助けにどのくらいなるんだろうか。

イメージとか空気ってものは大事だと思う。それこそスポーツの試合なんか見ていると、ちょっとしたことで試合の風向きが変わってしまうことはよくある。そんな風に日本の経済とかが変わるんだろうか。

多分わたしがちゃんと新聞読んだりしてないからだろうけど、具体的にどういうメリットがあるからやるのかって、そこんとこが全然分からない。トンネルの崩落事故があったけど、オリンピックが決まり、突貫工事がはじまって、またおなじようなことが起きるんだろうか。

そんなことを考えながら書きながら、閉塞感を感じているのは、単に勉強不足だからなんだと思う。でもテレビの街頭インタビューでは、オリンピック招致反対!といってる人は出て来ないよね。そんなこといったら職場で居心地悪くなるもんね。

あー、自分自身の生活での行き詰まり感がこんなことを思わせるんだろう。

7年後って考えたら還暦じゃーん!

もし29時間後、オリンピックが来ることが決まったら、なにもかもが上手く運んで、7年後は日本中のみんなが「しあわせ!」って感じるお国になっていればよいですね。