夫婦善哉」を楽しみに見ていたんだけど、最終回の昨日は甥っ子一家が来ていて途中まで見られなかった。と思ったら、ちょうど今再放送がはじまった。ラッキー!

青臭い森山未來がいいとも思っていなかったんだけど、日本の昔のロマンチックが感じられてよかったな。今だったら旦那の為にせっせと働いてきたお金をぜーんぶ遊んでパーにされちゃったとしたら裁判沙汰だと思うけど、そんなことをせず好きな男を一人前にすることだけを思って尽くす女がおもしろい。そういう価値観もありだった、日本の昔があったんだなと思う。

では今の日本でのロマンチックとは何なんだろうね。いまだにゴージャズレストランで高級ワインを前に泡がたったり凍結してたりする***ディナーを楽しんでる人もたくさんいるだろうが、価値観もテレビ画面のようにワイド化してるから、新しいロマンチックもたくさん生まれているだろう。

 

夫婦善哉おわっちゃって悲しいなと思っていたら、今夜は「いねむり先生」というおもしろいのがあった。テレ朝の9時からでおもしろいのはわたしにとっては珍しい。

夏目雅子が亡くなり精神的にまいっていた伊集院静が、阿佐田哲也と出会い救われる話だった。伊集院静にあのように落ち込んでいた時代があったのは知らなかったが、あれだけ魅力的な女性と結婚して数ヶ月で失ったのだから、まいってしまっても当然だろうね。悪夢のような幻影に取りつかれていたが、阿佐田哲也の「だいじょうぶ」という言葉に助けられる。人はどんな時も誰かに「だいじょうぶ」といって欲しいんじゃないかな。小さな子がお腹が痛いときはお母さんに、会社が倒産しそうなときは奥さんに、根拠はなくてもただ「だいじょうぶ」といってもらえば安心できる、信じられる。希望という名の光が見えてくるというものです。だいじょうぶ、といってくれる人がいるってしあわせなことだなと思った。そしてわたしも誰かにだいじょうぶだよ、といってあげられるような最後の余裕は残しておきたいなと思う。

 

この週末、地元の神社はお祭りだった。

一時は毎朝職場の近くのお稲荷さんにお参りしてたけど、最近まったくしていない。というか、神社仏閣に遭遇しても手を合わせたいという気持ちがなくなってしまった。元々墓参りは大嫌いだった。子どもの頃お墓参りに行き、お線香の煙にしかめっ面して白っちゃけて不機嫌な亡霊のような顔で映っている写眞が残っているが、墓参りに対する気持ちは今でもそんな感じのままだ。でも神社には時々お参りしていたんだが、最近はなにが神だ!神も仏もありゃしない!そんな気分です。もっと不幸な人がたくさん手を合わせているだろうに。こんなわたしは更に不幸のずんどこに落ちていくばかりかも知れない。