因果応報

問題が起こると、すぐその原因を追求したくなってしまう。最近特に自分がそういうタイプだってことを感じる。元々理屈っぽくはあるけどね。

わたしが小学校の4・5年の頃、うちのおばあちゃんはその頃でいうところの痴呆症になった。夕方になるとわたしたち兄弟にうちへ帰れ帰れというので、今でいうところのウザくて、フローリングの部屋で突き飛ばしたら倒れて頭を打ち、しばらく気絶し父親がすごく驚いて怒った。今考えてみれば、あれから父親はわたしに冷たくなった気もする。それも今考えてみれば、そういう母親と自分の子供との関係を管理できなかった自分のせいなのに。

そう、そこで思うのだが、おばあちゃんは発症してからどのくらいの期間うちにいたんだろう。わたしが受験勉強をはじめる頃には、おばさんの家に引き取られていったから、1〜2年のことなんだろうか。

おばさんという人はモダンで綺麗な人だったらしいが、気が強かった。おなじような性格のわたしの父親とまったく反りが合わず、わたしが物心ついた頃にはほぼ絶縁状態のようなものだった。わたしと弟の関係がよく似ている。

どうしていつも前置きがダラダラ長くなるんだろう。書いてるうちに色々思い出しちゃうからなのかな。

要は、母親はわたしを受験させたいがために、介護をおばさんに押し付けたのではないかと思うのだ。普通だったら長男であるうちの父親が面倒みるでしょう。

おばさんのことをよく覚えてないが、旦那がいたっていう記憶がない。亡くなったか離婚したんだろう。でも息子が一人いた。きーちゃん兄ちゃんと呼んで、なついていた記憶はある。おばさんは麻布十番に高校生くらいのきーちゃん兄ちゃんと住んでいた。その家にもいった記憶があり、初めて洋式便座のトイレを使ったのがその家だった。間違った使い方をしてとんでもないことになったことは覚えている。

おばあちゃんが粗相をしたとき銭湯へ連れていき、頭から水だかお湯だかをかけていたという話も覚えている。おばさんの気の強さを表すエピソードとしてうちに語り継がれていたのだろう。っていうわけでもないけど、そのくらいしか当時の話は覚えていない。

その後おばあちゃんはちょっと遠くの老人施設にいれられたと思うが、多分わたしはそこには一度もいかなかったと思う。そしておばあちゃんはそこで亡くなったように思う。でもおばあちゃんが亡くなったのはわたしが5年生くらいだったから、痴呆症になって、うちで面倒みて、おばさんちに引き取られて、老人ホームへ入って、その期間は2年くらいかな、考えてみればそんなに長くなかったんだな。

だから何がいいたいかというと、おばあちゃんをわたしの受験があるからって未亡人のおばさんちに追いやった、つまり介護を放棄した、おまけにわたしは痴呆のおばあちゃんを突き飛ばし、あわや殺すところだった。

そういうことが今わたしたちに返って来てるんじゃないかと思うわけです。いや、ずっとじゃなくて昨日今日思っただけ。でも当時そのあたりどのような状況だったのか、きーちゃん兄ちゃんに聞いてみたいなとは思った。わたしが10才の頃あっちが20才だったとしたら今60ちょっと、元気で生きていれば昔ばなしが出来る年齢だ。

でもおばさんはなくなっているし、唯一連絡先を知っているでろう母親はこんな状態だ。おばさんがどういう人だったのか、父親はどうだったのか、おばあちゃんの介護はどんなだったのか。

それで何かが分かったからって何がどうなるわけでもないんだろうが、わたしは気質的には父親のほうに似ているようなので、きっとおばさんやきーちゃん兄ちゃんともよく似ているとこがあると思うのだ。それにわたしが大嫌いだった父親をおなじく大嫌いだった女の人だから、話あうと思うし。

おばあちゃんのボケは母親よりもかなり酷かった。ある年の元旦に突発的にはじまり、徘徊が激しく、家で食事をしたことを忘れ食べさせてもらってないといっては無銭でそば屋でカツ丼とか食べてた気がする。大きな交差点の赤信号でもどんどん渡ろうとし、時々おまわりさんに保護されて来たりしていた。家の中では味噌もクソも一緒だった。体は元気で頭だけ激しいボケだったので、大変だったと思う。こども心に母親が大変だっという記憶はある。普段は本を読まないくせに、当時ベストセラーになった有吉佐和子恍惚の人をむさぼるように読んでいたし。

80代の40%が認知症だそうだ。その割には身近にそういう人見かけない。テレビの中も元気な高齢者ばかり出てくる。世間には登場させないようになっているのか。所詮自分ではコントロールしようのない病気なのだ。母親が悪いから、わたしが悪いから病気になったのでもないのかも知れない。原因追及すること自体間違っている気もする。でもせずにはいられない。何か原因が見つかれば修正する方法も見つかるかも知れない、そう思ってしまう。

親戚なんて全然親身になってくれない。これまでこの人は信頼できそうないい人だなと思ったのは、母親が認知症になったきっかけをつくった病院のソーシャルワーカーの人くらいだ。困ったことがあったら連絡くださいねと、名前と連絡先を書いた紙をくれた。わたしは今でもそのコピー用紙の紙切れを、財布に入れている。

今日はかなり久しぶりに銀座へ連れていき昼ごはんを一緒に食べ、デパ地下で簡単な買物をして帰って来た。でもこういう風に気分よく過ごしたあとは必ず何か起こる。案の定帰宅後一波乱あり、わたしはこうして悶々とこの誰も読まないブログを書いている。

別に認知症の家族を持つ人に共感して欲しいわけじゃない。どこにもぶつけられない感情をここにぶつけてるだけだ。見えないブログにすればいいのに敢えて公開しているのは、やはり誰かに同情して欲しいからか。

さっきもマンションのエレベーターを降りて部屋のドアまでの短い時間に、なぜ泣けないのかなと、ユーミンのように考えてしまった。涙ざんざん流してワーワー泣いたら少しはすっきりすると思うのだが、最近ぜんぜん泣けない。下らないことではどんどん涙もろくなるくせに、どうして泣けないのかな。いつ、どこで、どんな状況ならガンガン泣けるんだろう。ひどく悲しいのにー

またソファの上もテーブルの上も片付けられなかった。明日休みたいと今真剣に考えている。