最近頭に来ると母親にむかって「もうわたしは限界でやってらんないから施設へでも行ってくれ!」と怒鳴る。

そうすると泣く。

一番言われたくないことと分かっていっている。そう、わたしはいつでも意地悪なのだ。

さっきも泣かせた。

たまに晩ご飯抜きにすることもある。

でもこれらって、親がこどもにすることとおなじだよね。「ごはんを食べさせないぞ!」とか「人さらいが来るぞ!」とか「出てけ!」はよくいわれたし。

人はそうやられたようにやる人間になるわけだ。暴力をうけて育ったからわたしは暴力をふるう。そうじゃなくてもそういう奴の血が流れているし。

たまに分からなくなっているんじゃないかと確認するように母親に「わたしは誰?」と聞くが、まえ名前が分からなくて「おかあさん」といわれたことがあった。一瞬ひやっとしたが、半分冗談のようでもあった。

しかしごはんを作ってくれて、よく𠮟ってくれるわたしは、今完全におかあさんのような存在なんだろう。そういう人が、「施設にいけ!」と怒鳴るのだから、母親はこどものように泣くのだ。

でもまだ自分が母親だとう意識も当たり前だろうけど根深く残っている。今日もパンを買ったら、紙袋を持ってあげるからよこせという。地下鉄にのって自分だけ座っていて席が空くと、わたしに座れ座れいうし、わたしが荷物を持って立っていると、荷物を持つ持つという。フラフラして自分のほぼ空っぽのバッグを持っているのだけでも精一杯なのに。

気をつかっているのだろう、わたしがつくったおかずを美味しいか?と聞くと、美味しいよという。毎日つくってやりたりという気持ちと、これ以上出来ないという気持ちが常に戦っている。でも先日勝手に出掛けてしまい、転んで肘をケガして医者に塗り薬をもらい、ひじ用に大きなバンドエイドを買ってきたが、その後で頭にくることがあったのでもう母親の体に触る気になれず今晩も薬がつけられない。認知症の人にはスキンシップがよいそうだ。いい匂いのハンドクリームで血管の浮いた手でもマッサージしながら会話をしてあげたらどんなに母親は嬉しいだろう、もしかしたら症状も改善するかも知れないと思うのだが、よほど精神的に余裕があって自分の機嫌がよくないと、体に、肌に触れるということが出来ない。

いっつもこうもしてやりたいという気持ちと、まったくやる気にもなれないという気持ちがせめぎあっている。わたしもいい加減慣れろよ、諦めろよ、とも思うのだが。

数日前からここが自分の家ではないような発言がある。2人で暮らしているのに他の誰かが帰ってくるようなこともいっていた。わたしが怒る、症状が悪化する、徘徊、どんどんそういう方向へ向かっているとしたらどうしよう。

誰か相談する人が欲しい。ケアマネなんて認知症経験者だというけど、全然役に立たない。つぶれてしまう前に誰かに頼りたい。話を聞いてくれる友達がいても、やはり専門家でもおなじ経験を持つ訳でもない。

いずれ母親も施設に入るのだろうか。入るというか入れるとしたらもう準備をしておかなければいけないのだ。だって安いとこは何百人も待ってるんでしょ。

わたしは何をすればいいのか。タイトルは忘れちゃったが昔読んだチーズがどうのこうのいう本のことを思い出す。迷ってないで行動したねずみが勝ちなのだ。

なんかお腹すいてきちゃったな。もう12時すぎたのに。