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今朝母親をショートステイに送り出した。

1日自由になったのでやっと税金の申告の資料をまとめることができた。

紙紙紙と格闘している間は集中してそれ以外のことを忘れていられたが、夜になって疲れてしまい、ひとりでソファに座っていると、部屋の中がとても静かで、母親が死んだらこういう日々になるのかなと思う。

朝、一応お出かけだから普段着ていなかったワンピースを着せたら、食後すぐにトイレで汚した。トイレにいくときはいうんだよといっておいたのに。トイレで頭にきて足を叩いたら、わたしの右手の中指が内出血した。汚れたワンピースを脱がしてちょっと目を離したらパジャマを着込んでいて、頭にきて洋服で顔を叩いたひーひーいって泣きそうになった。わたしがこっちのほうが泣きたいんだよ!と叫んだら泣きやんだけど。

違う服を着させたが、1時間くらいの間に3回とトイレにいった。行くたびに、パンツ脱いで、座って、させた後はウォシュレットで洗ってやり、トイレットペーパーをちぎらせてお尻を拭かせ、その紙を便器に捨てるようにいい、パンツをあげさせて、後ろを向かせてトイレを流させ、こっちを向かせて手を洗わせ、手を拭かせる。ひとりでトイレに行って出てくることもたくさんあるが、これらの過程のいくつかはスキップしているはずだ。いわゆる全介助ってやつだから。

拭いたトイレットペーパーをトイレに流すというのが一人ではよくわからないようで、よく自分の部屋の中に置いてあるが、数日前帰ってきたときお盆の上に丸めておいてあったので発狂しそうになった。いや、した。

食事やトイレが終わり、ショートの迎えの車が来るまで少し時間があったので、座っている母親と少し話しをした。いつも聞くことは、どうしたいのか?どういう生活が一番いいと思っているのか?答えは分かっている。この家で平穏に暮らせればそれが一番いいんだ。今朝はでもわたしは耐えられないと話した。自分の仕事の状況、病気のこと、その上朝起きてトイレに行かせてパンツ替えてって1日がずっと繰り返されて耐えられないことも。でも、いってて虚しい。聞いた直後にはわたしの話のすべては記憶から消え去ってしまうから。いう意味がない。説明する意味がない。

でも母親は分かっている。自分がわたしに面倒をかけて申し訳ないという気持ちを確かに持っているのだ。だからあんたに迷惑がかかるなら、ほかに行ってもいいと思っているという。

今月はケアマネに散々泣きつき、急遽ショートステイを増やしてもらった。これまで長くても3泊4日だったが、今回は9日間だ。もちろん長いほうがわたしにとっては楽なのだが、帰ってくるたびに状態が酷くなってしまうのが怖く、中々長く行かせる決心が出来なかった。でも今回は本当に悲鳴をあげたい状況だったので、一度は短くしてもらったのをまた9日に延ばしてもらった。

あんなに朝殴られた日の夜、母親はどんな気持ちで施設にいるのだろうと考えてしまう。

殴ったすぐあとでも靴を履かせ、迎えの車まで送り、窓越しにバイバイと手を振って送り出した。不思議だな。殺してやりたいと思うほどでも、何分かすれば普通に接することが出来る。親子だからなんだろう。でもこれが父親だったら違ったと思うが。違うというより、父親だったらとっくに施設にぶちこんでいたと思う。

ひとりでこうしていると、ああ、なんでやさしく接してやれないんだろうと思ってしまう。わたしが優しくしてやれれば、母親は希望どおりここで穏やかに過ごせるわけだし、わたしだって後悔や自責の念にかられる必要もない。

人を癒すには、人とのコミュニケーションが一番だと聞く。

離れている時は、歌が好きだから昭和歌謡のCDを買って帰ってやろうかとか、足腰が弱ってきているから1日10回くらいスクワットをやらせようとか、今まともな服がないからどこかで探してやらなくちゃとか、毎日帰るときには今夜は何を食べさせよう、何が食べたいだろうといつもいつも考えているのに。なのに、家に帰って目の前にいると、憎い気持ちしかなくなってしまう。

みんなどんなタイミングで認知症の親を施設に入れる決断をするのだろう、と何度もググってみたりした。認知症、辛い、介護でググったら、とんでもなく辛そうな独り者の男性の介護日誌が出てきてつい読んでしまった。こうなりたくはない!と思うが、商況的にはほぼ同じじゃないか。

天気がよくて近くに綺麗な花が咲いていると聞いて、運動不足だからと散歩に連れて出して。普通に歩けば往復15分もかからない距離だが、母親は途中から足が痛い痛いとヒーヒーいい出す。足が痛いならどこが痛いのかと聞いても、どこなんだか、それさえはっきり伝えられない。

母親の足の爪の調子が悪く、病院へ行こうかと迷っている。行くにはヘルパーを頼むか、わたしが連れていくかだ。治療にはかなり時間がかかるらしい。毎日や通院のヘルパーさん、デイサービス、それにショートステイで要介護4の介護保険を使っても負担額はかなり大きくなってしまっている。それなにの85の母親の爪の病気を治しに、さらにヘルパーを頼んで負担を増やして新しい病院に通わせるべきなのか?それともわたしが行くべきなのか?そもそもこんな年で治療する必要があるのか?昨日職場の人にどうだろうと聞いてみたら、行くべき!といわれたけど、わたしは決心ができない。ぐだぐだ考えてる間にいってしまえばいいのに、か。

何日か前、起きるのもやっとで、夕飯作りたくないけどいいかと聞いたら全然平気というので寝転がっていたら、しばらくしてお腹が空いたという。しょうがないとやっとの思いで起き上がり、買ってあった竹の子で竹の子ごはんをつくり、牛肉を焼いてお汁と一緒に出した。わたしはとっとと食べ終わり転がってテレビを見ていて、母親の食事が終わったかと覗いてみたら、ほとんど残してごはんやおかずを汁と混ぜてぐちゃぐちゃにしていた。わたしは自分がつくったものをこうされるのがとても腹が立つ。せっかく母親が食べたそうなものをと思ってつくって、残されたうえ、ぐちゃぐちゃにされると居たたまれなくなる。

わたしが一番母親のしたいことも、うれしいことも知っていると思ってやっているのに、母親の態度に失望し逆上し、暴力も振るう。

こんな自分の気持ちに張り裂けそうになってしまうのだ。

こんなにガンガン怒られてここにいるなら、施設でおなじような人たちとおしゃべりをして過ごしたほうがいいのではないか。いや、ここでわたしが優しくできるのなら、自宅で過ごすのが一番しあわせに決まっている。でもこうしてひとりでいる時は優しくできるのではと思ってしまうのだが、目の前にいて手がかかったり余計なことばかりすると思うと、もう限界、精神的にも耐えられないと思う。

仕事のことを考えなければいけないと思っているのだが、仕事などせず、母の介護をしたほうがいいのだろうか?病院へ連れていけるし、家でリハビリまがいのことをしたり、認知症にはスキンシップがよく、ハンドマッサージもしてあげられるかも知れない。

しかしそう思う一方で、わたしの世界が母と2人だけのこの世界だけになったら、そんな気持ちの余裕なんて生まれてくるだろうか、わたし自身がもっとダメになってしまうかも知れない。

特養の老人ホームへ入れるにしても、待っている人の人数がすごいことは常識だ。だから前もって早めに予約しておけば!といわれるけど、決心がつかない。

施設に入れるということは、終の住処に送り込むということだ。もうここでの生活はなく、だんだんに弱ってそのうち寝たきりになって・・・ その決心をするということだ。

家で寝たきりの生活は可能なのだろうか?ヘルパーさんたちとチームを組んで、最後までの介護をここで出来たりするのだろうか?その場合、ホームドクターも必要になる。もしかしたら別の病気になり入院するかも知れない。

どちらにせよ、終わりに向かっていくのだ。わたしだってそうなんだから、母親のそれはより現実的だ。人の終わりかたを決めるなんて、あまりに難しい。わたしはあまりに決断力がなさすぎる。きっと世の中の介護をクリアしていくひとたちは、もっとドライに自分の状況を優先させて物事を決めて行くのかも知れない。

グループホームはどうだろう。認知症の人にはよいと聞く。

ケアマネたちは、力になります!といってくれるけど、介護の状況は厳しく、そう簡単に思い通りの環境なんてつくれないし、だいたい理想の介護なんてあるんだろうか。

書くことで物事が見えてくるとアドバイスをくれた友人がいる。

こうだらだら書いてくると、やはりわたしの決断力のなさが問題だと思う。そしてやはりわたしは介護者の平均を考えても、優しさが足りず、忍耐力もないのかもしれない。

もう、眠たくなってきた。

今夜はトイレに行かせて、パジャマに着替えさせる仕事がないからせいせいする。