今日読み終わった本は、池上彰の「学びつづける力」

本を読むということは、ざるで水をすくうようなことだと書かれていた。いくらすくってもちっとも水は溜まらないが、それでもすくいつづければ少しは溜まると。

最近は本を読み終わった瞬間でも、その内容が思い出せず、自分の脳にも恐怖を感じる。そもそも脳がわたしはダメだからな。だからノートに気になったことを書いたりしてみたが、それでもそれを何度か開いてみないと思い出せない。過去に読んだ本のことなんて本当になんにも覚えていない。印象に残った本のタイトルぐらいは思い出せるが、少しでも内容まで思い出せるのは、20代ぐらいに読んで印象に残ったものくらいかな。

 

きょうはノートにメモを取らなかったので、ここに書いておこう。

 

大学とは、「自分で学ぶことを学ぶ」場所なのです。

 

リベラルアーツとは、人間としての教養

 

知識と知識を組み合わせることによって自分なりに展開させる。

 

本当につらくなったら、逃げればいい。

 

 

きのう爆問で太田光がいっていた。江戸時代の人は様々な遊びに飽きると、最後に本を読むことにたどりついたそうだ。勉強することの喜びは終わりがないから。

本の内容は主に教養についてだった。わたしにとって教養とは、大学の一般教養というレベルの認識しかなく、おまけにわたしの大学時代は本当に4年間その学校の学生というシールを貼ってあっただけで、本当に勉強をしなかった。遊ぶところだという考えしかなかった。その割には中途半端にしか遊ばなかったけど。

大学時代に一般教養の授業をちゃんと聴いていたら、今のわたしはもっと違った人間になっていたのだろうか。

教養とは自分を自由にするものと書いてあるところがあった。教養ではないけど、政治や経済や哲学や宗教や歴史や、そういうこの世の中をつくっている基本的な知識があったら、きっと意見をいいたいときにいい、行動したいときにし、いわゆる職業を選択する自由という点でも、自由の度合いはかなり増すんだろうな。

池上さんは、本は読んでも忘れてしまうのだから、読んで得た知識をもとに自分なりに考えてみることが必要だと書いている。そうだと思う。この本で読んだこの部分は、前に読んだあの本にもおなじようなことが書いてあった。なぜみんながおなじことをいうのだろう。そんなことを自分なりに考えて出した結論、発見した考え方は、本の内容よりも記憶に残ったりする。

 

池上さんの本はやさしい言葉で書いてあり、それはあの人のテレビを観ているのとほとんどおなじ感覚だ。テレビの言葉がそのまま本になっているといってもいいくらい。テレビ出身の人なんだなあと思う。

ここ数年、池上さんの人気が急上昇したのは、やはり震災以降、教養のないといったらおかしいかも知れないが、基本知識のないわたしのような人たちが、世の中で起こっている事故や事件を理解したい、だから誰かやさしく説明してくれる人が必要だったということだと思う。

 

教養とはなにか。そんなことは今だってあまりに漠然として説明できないけれど、世の中の分からないことを避けるように生きてきちゃったわたしにとっては、ともかくその前に最低限の一般常識をというところだろう。きっとそこを勉強しないと、世の中で起こってきたこと、起こっていることを理解できないままに過ぎ去って終わってしまう。

自分がわからないことがわかるようになるのが勉強だともあった。

読書力、読解力、集中力、持続力、すべてに欠ける自分だけど、無限大の分からないを少しでも埋めていくことができるんでしょうかね。

近くで着々と埋める作業をすすめている人を見ていると、きっとこの人は学生時代にわからないことをわかっていく楽しさを知ってしまった人なんだろうと思うけど、到底かなわないのでしっぽを巻いて逃げたくなります。