考えてみればサンドイッチだった。

 

仕事を辞めさせられることが決まってから辞めるまでの間、1人で昼食を食べる日の2日に1度くらいはスタバでサンドイッチを食べていた。

銀座には3軒のスタバがあるので、それをぐるぐる巡っていた。

今もどこも行くとこがないと、つい気を紛らわせにスタバへ行ってしまうのだが、正直サンドイッチはもういい。

 

その前に長いこといた会社。そこでも辞めるまでの3ヶ月くらいの間は毎日おなじサンドイッチを食べていた。

従業員食堂の喫茶室のレジのところで売っていた、ハムや卵やツナなんかの三角形に切ってあるサンドイッチ。2種類が2切れずつ、ラップに包んであった。会社の食券で買うと、何十円かお釣りがきた。

それを従業員食堂で食べるのではなく、自分の部署の給湯室に持って帰って食べていた。すぐ食べ終わるから、そのあとは机に突っ伏して寝ていたように思う。

それを多分3ヶ月くらいくり返していたのだ。あの頃は食堂でごはんを食べるということに完全に興味を失っていた。もともとそんなに美味しくなかったが、さらに食べたくない気分になっていた。

でも今考えれば異常だよな。

 

小学生の頃、外食が苦手で、飲食店に行くと急に吐き気がして何も食べられなくなるこどもだった。家に帰ってきてよくお茶漬けを食べていた。

そんなわたしが時々外で食べられたものがサンドイッチだった。今のようにおしゃれなものじゃなく、ハムや卵やきゅうりがはいった三角形のだ。それとレモンスカッシュなんか頼んでいたかな。こってりとしたものは余計ダメで、サンドイッチとレモンスカッシュの組合せは、こどものわたしの中では一番さっぱりしたメニューだったのだ。

今でも外でカレーとか肉とか揚げ物とか、こってりしたものを食べていてお腹がいっぱいになってくると、次の一口で気持ちが悪くなるんじゃないかという恐怖に襲われることがよくある。昔の外食が苦手だったなごりだ。

 

最近は食欲がない。誰かと食べてるときはいいんだけど。

お腹がぺったんこになって空腹だという感覚はすごくあるんだけど、喉元が食べものを欲しない。何かを食べたいという気分にならない。じわじわ痩せてきてしまい、時々自分がシワシワなのに気づき驚く。

きょうも何か食べないとまずいと思い、2時半にまだランチをやっている店を見つけ、お昼を食べた。

家に帰って食事をつくったが、最近は自分のつくっているものの味がよく分からない。母親は美味しいと食べるが、もう自分が何を食べているか分からなくなっているし、きっと味自体もよく分からなくなっているのかも知れない。

自分で食事をつくるのは義務感だけ。何かつくって食べないと、食べさせないとと思うから。飲み込むためにつくっているようで、時々砂を噛むようなということばを思い出す。

現実感ってなんだろう。実感ってなんだろう。

人とコミュニケーションを取ることが現実感を得るための行為だとすると、コミュニケーション失格といわれたわたしはどうしたらいいんだろう。