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人混みの中を歩く。

この中に誰かわたしと気の合う人がいるんだろうか、と考えると、誰もが変わった人に思え、こういう言葉は嫌だけど社会復帰なんか出来ないよという気分になる。

大型書店へいく。

つい自己啓発本ばかりつまんでしまうが、いくら読んでもわたしの場合は病気が爆発してしまえばそれで終わり・・・、無駄なことだとつい考えてしまう。

 

入口に置いてあった「こうして、思考は現実になる」を買おうか迷ったが、高かったし怪しげでもあったので、結局茂木健一郎と星野玄のエッセイを買ってしまった。

星野玄の本を立ち読みしたとき、クモ膜下になったときの様子が、わたしが帯状疱疹になったときと少し似ていてますます興味が湧いた。

 

きょうはある店を見に勝どきまでいったのだが、その店である写真雑誌のチラシをもらいおもしろそうと思ったので本屋で探したら棚の一番上に置いてあった。1500円で1.5cmくらいある雑誌で、パラッとめくっただけで買っても見ないだろう、見ても捨てられなかったらまた家のある部分を占める無用物となるだろうし、無用でも1500円もしたものはすぐ捨てられないだろうしと思い、買うどころか見る気もなくなる。昔はよく雑誌を買っては隅々まで読み、影響されもしたが、雑誌を読むということも若さ、体力がいるんじゃないかと思える。

最近おしゃれ系本屋へいくと目にするなんだかよく分からない雑誌があった。きょう名前を確認したらKINFOLKという本だった。気になるというのは、興味があるのではなくて、なんだか不思議な雰囲気の本だからだ。さっきAmazonで見てみたらポートランドの雑誌の翻訳版なのだそうだ。POPEYEが盛んにポートランド特集を宣伝していたが、あんまり聴きたくない地名だったので、あーやっぱりなと思う。

ちょっとクウネルみたいな空気感で、やっぱり載ってる写真の質感なんかが、にがてー。

 

前、ブログは1日にひとつのテーマで書いてたけど、最近は掃きだめだな。鶴のいない掃きだめ。

 

誰かを嫌いになると、その人に関連するものをみんな嫌いになる。普通そうなのかな。坊主憎けりゃ袈裟まで。ということか。

勝どき、築地もそういう意味では行きたくない場所なんだけど。税務署に用事があるので先月はいったが、三田も実は行きたくない。求人を見ていても三田は外す。もし三田が仕事場になって嫌いな人にばったり会ってしまったらと思うと、絶対にやだなと思う。

わたしの世界や人間関係は、こうやってどんどん狭くなってきた。普通年とれば年とるほど、人は世界が広くなるように思うが、わたしはどんどん狭くなる。

仕事を辞めたといったら、途端にぱったり連絡がなくなった人もいる。下心のまったくない人間関係なんてあり得ないとは思うが、メリットがないなら会わないと、みんな普通に思うのだろう。そんなもんだよね。

 

この前読んだ茂木健一郎の本に、「フロー」という言葉が出てきた。ちょっと昔「ゾーン」といわれていた時間のことらしい。

無意識になって熱中してなにかやっている状態のことのようだ。少し前常に恐怖感に襲われているとき、なかなか何かをやりだせないのだが、一度やりだすと恐怖を忘れ集中している自分に気づくことが度々あった。きっとそんな時間もフローに近い状態だったのかも知れない。

最近よく書いている現実感についてだが、やはりついそのことを忘れてしまっている時間がもちろんあって、そういう時間は現実感がどうこう考えていないから楽だ。

さっき無意識の脳の状態が最近注目されているとテレビで見たけど、自分で意識しないで勝手に自分が動いている状態が、健康的なのかも知れない。

ブログを書くと、あれこれ考えてしまうからあまりよくないかな。

でも、今何を考えているか、後から分かるように記録しておきたい気分なのだ。

あの時の自分はあんなだったのかと、より健康な自分が振り返って見るために。