今朝。

摘心して残ったつるが伸びはじめたので、ついに鉢を竹垣に竹立てかけた。じゃなくて竹に朝顔寄り添わせた。

さっき見たら、ひとつのつるがもうこのすすけた去年の竹に巻きつきはじめていた。朝顔は寄り添いたい、そんな性質をもっているんだなと思った。オキシトシンオキシトシン

 

 

きのうの。

 

 

おとといの。

家をあけたため、かれらに日陰と水筒を与えました。徐々に水分補給してくれる園芸用具をわざわざ購入。

ベランダが汚いのは分かってるんです。この点は無視して観察して欲しい。

 

ほぼ2ヶ月間、リハビリと称してスタバ&上島活動に励んできた。どんだけ小金つかったことよ。スーパーまで歩いていっては、その先で近くにあるスタバか上島に寄ってはなんかしら読んでいた。体がなまる、そう思っては必死に歩き、無防備に歩き過ぎて熱中症になったくらいだ。

しかし、先週から生活が変わることになった。

これまでだってコーヒー飲んではやだやだ思いながら5時頃には帰り、ごはんつくっていたが、いざ生活が変わると、そんなスタバ上島な日々がとても楽しかったと思える。お金は使うだけで何をしても入ってこなかったが、それでも拘束されていなかったというのは、やはり楽しかったのだなと思える。

でもそうしているときは、早く何か仕事を探さないと、なんでもいいから収入源を見つけないと、常にそう思っていたのだが、もうそういうのはいいんじゃないか、ぷらっぷらっして、そうしてやっていける方法もあるんじゃないか、もっと頭をやらかくすれば、そうやってもいずればお金が入ってくる生き方があるんじゃないか、そんな風に重いはじめたころ、突然仕事が舞い込んできた。

「恐怖を感じながらも、とにかくやってみなさい」と書いたメモを見ながらどうにか書いた履歴書が、今回わたしが書いた唯一のそれになった。幸運というか、濡れ手に粟というか、棚からぼた餅というか、あの時はすんごい努力してようやく書いたと思っていたが、今になってみれば、有効求人倍率が上昇しているとはいえ、何通も何通も履歴書書いて面接して苦労している人もよーけいると思うのに、こんなことでほんとにいいのか?とも思える。反面ご人徳だよね〜と思っている自分もあるけどね。徳っていうか、冷静に考えれば自分がこれまでやってきたことの蓄積が(ほんとうに大したことないんだけど)幸いしたんだろうな。超中途半端なんだけどね。

人間て不思議だよね。失ったものほど価値のあったもののように思えてしまう。

こんなことしてていいのか?いいのか?と思いながら通っていた近所の公園やスーパーやコーヒー屋なのに、そんな生活が出来なくなってしまうと、なんだかとても懐かしくなる。わたしの病気自体不思議なとこがあり、ひどく辛い状態がありながら、それを抜けて快方に向かって行くとき、なぜかひどかった頃を懐かしく、戻りたいような気持ちになるんだよね。一種の現実逃避なのかな。もしくは前進して行くことへの恐怖感なのかも知れないけど。

ああ、今のところいい子ちゃんにしているけど、いつまでもつのかな・・・

そんなにご期待にお応えできないかも知れないけど、なにかわたしらしさが出せるような機会をつくれればなと、今んとこそんくらいです。