けさ。

 

 

つぼみも今日はピントがあってます。

12コ蒔いた種は、10コ発芽し、今日現在で8コのつるがすすけた竹に巻きついたり巻きつくように紐でしばりつけたりしています。スパルタ教育です。

でも、育ての親が愛情たっぷりに手厚く指導したためか、みんな元気にすくすく成長していてなによりです。

あの1コの種がこんなになったかと思うと・・・ 感慨無量です。

 

栗原はるみとポンピリオがやっている回のきょうの料理はとくに好きで、きょうも見ました。

栗原はるみがスモークサーモンでにぎり寿司をつくっているのを見ていたら、よく以前母親がまぐろを買ってきたからといって、にぎり寿司をつくっていたのを思い出し、なんだかとても泣けてしまいました。

仕事から帰ってくると、大皿にころんと太めで不格好のにぎりが並んでいました。わたしはそれを勝手気ままにホイホイぱくぱく食べるだけ。食べるそばから母親はまた不格好なまぐろのにぎりを握ってお皿にのせていました。

すし飯があまると、鉄火巻きやかっぱ巻きもつくっていたっけ。

あんなお寿司はもう食べられないのだと思ったから、悲しくなったのです。ちらしはわたしも時々つくるけど、面倒なにぎりや太巻きは全然つくらないからな。

よく母親の紙パンツを交換しているとき、この人はもう死ぬまでタンスにしまってある普通のパンツをはけないんだなと思うこともある。普通のパンツに尿取りパッドをすればはけないこともないんだけど、わたしは面倒でやらないしね。

日本料理は世界遺産になったんだっけ?

やっぱり本当に貴重なのは、料理屋で食べる美しい懐石料理のようなものじゃなくて、家で母親がつくってくれたような料理だと思う。世界遺産にするなら、そっちのほうだと思う。今、家で太巻き寿司なんてつくってるのかな? 昭和あたりまでは当たり前に思って食べてきた、でも時間と手間がかかる料理。そういうもののほうが、消滅していってるんじゃないかな。

パスタが上手なおかあさんじゃなくて、太巻き寿司が上手なおかあさんこそが世界遺産だ。

千葉の断面がパンダさんやお花になっているのは、別格です。

 

きのうNHKで太平洋戦争のペリリューというところでの戦闘のフィルムが見つかったとかで、特番でやっていた。ちょっと見たけど耐えられなくなってやっぱり見るのをやめにした。

撮影したカメラマンが生きていて、人が死ぬのに慣れてしまい、死体のことを丸太と呼ぶようになったと話していた。確かアウシュビッツでも、亡くなった人のことをそう呼んでいたんじゃないかな。

伝えることも知ることも必要だとは思うけど、テレビで堂々とああいうフィルムを放映していいのかと思った。最近、猫を殺して、人も殺したかったって事件があったよね。

今の世の中、あのような映像を見て、とんでもないことを思ってしまう人だってたくさんいるんだろうから、誰でもが簡単に見られてしまうテレビで、なんでも流すのはおかしいように思う。

もちろんこっちには見ない権利と自由があるのだから、見たくない人は見なければいいんだけど、テレビだけじゃなくどんなメディアでも、受け取る側がちゃんと意思をもっていないと、振り回されて疲弊するだけだ。

最近の人間のほうが想像力が乏しくなってきているようだから、そのまんまを衝撃的に届けないとダメだという考えもあるんだろうけど、ちがう伝え方だってあると思う。

よく東北の震災で被害にあった人などのドキュメンタリー番組を見たりすると、1人の人、ひとつの家庭の悲劇を伝えることで、そのバックにある何万倍の事実がどんだけ伝わるのかなと思ってしまうことがある。考えようとしても大きすぎて分からないと思う。だから伝えなくていいと思ってるわけじゃないけど、少なくともわたしの貧相な想像力はまったく役に立たない。

この前ネット上で、久しぶりに見た写真があった。アメリカ人のカメラマンが終戦時かな、亡くなった赤ちゃんの妹?を背中に背負い、直立して焼き場の順番を待っている写真。有名な写真だと思うけど、白黒のとても静かな写真だけど、見る人の感情や想像力をとても揺さぶる写真だ。

ペリリューのフィルムと比べて、どうだろう。