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お昼は新しくできたうどん屋を見つけたので、とろろ昆布うどん。
京風みたいな感じのお店だったけど、汁も結構塩分強いし、出汁も荒い感じだし、とろろ昆布がまた辛くて。
本当は今日は1日漢方を止めてみて、絶食してみるつもりだったんだけど、腹は減る。昼休みに食べないとやる気起きないし楽しいこともないので食べたけど、最後はもてあまして残した。
 
5年ほど前、母親が通算3ヶ月くらい入院した時は、仕事場からの乗換駅の新橋の地下でよく小さなブーケを買い、ほぼ毎日通っていた。今考えれば豪華な独り部屋だったな。
土日には、お寿司やうどんや、母親が食べたそうなものを作ってもっていったりもした。病室ではよく話をしたし、洗濯物を持って帰っては洗い、また持っていってを繰り返していた。これも今考えればだけど、あの頃のわたしは躁だったんだと思う。担当のイケメンの先生のことが結構好きだったし、あの先生は今Jリーグのチームドクターみたいだ。
さっきも病院へ行ったけど全然楽しくない。当たり前だけど。カーテンの向こうではガンの治療で入院中の女性が2人で明るい声で話をしていた。
母親は軍隊式みたいな白い拘束ベルトと、床ずれができないよう背中にクッションを当てられて寝ているだけだ。ほぼ24時間ばい菌を追い出すための点滴をしているらしい。
ずっとこのままじゃ困る、みたいなことを言ったら、看護師長みたいな少し年上の女性が、昼食はナースセンターで座って食べました、3時間ほどそこで楽しそうに話したりして、疲れたというのでさっきベッドで戻って寝ているんですと説明にきた。
母親は、きのうはわたしの後ろの壁に男の人がいるといっていたが、またせんもう症状だな、きっと。
ぼーっとしていて箸も上手に動かせず、筑前煮のなかのこんにゃくがつまめないとイライラしていた。半分ほど食べて終わり。点滴をずっとしているせいか、顔がふっくらして見える。
一昨年わたしが入院したときも、顔がまん丸になり肥って帰ってきた。動かないし、出てくるだけのごはんは何でも美味しかったし、相部屋だったからおならもできず、便秘になり、そのうえ点滴、それで肥った。
顔面の水疱の痛さはハンパなかったけど、なんか楽しかった気もある。ちょうど今頃だったかな。
母親は前回の退院は年末で、帰ってきた次の日は近くの上島珈琲で朝ごはんを一緒に食べた。3ヶ月も病院という隔離スペースにいたら、シャバの空気を味あわせてやりたかったから。
あれからなにがどうなって、これまで来てしまったのかな... 点でしか思い出せない。
デパートの玄関で待ち合わせをしたけど、会えなかったとか、デパ地下のパン屋の前で待ってるようにいったけど、案の定いなくなって、あの時は勝手に帰っちゃったんだっけ。
あれから今まで、どんな坂を下ってきたんだろう。転がるようにだったのか、なだらかだったのか、それさえ身近すぎて判断できない。
あの入院と手術がなくっても、母親は認知症の入口をもうすでにくぐったあとだっただろうことは、今は認識できる。でもあの入院がなかったら、もっと進行の坂道はなだらかだったと思う。
最近では歩きながら100から3ずつ引き算するとか、進行を努力で抑える方法がだんだん解明されてきた。進行が遅かったら、もっと早い段階でそんな様々な方法も、取り入れることができたかも知れない。でも今じゃもう遅すぎる。
早く帰って来て欲しい。それは寂しいからというよりも、認知症の進行が進んじゃ困るからなのだが、と同時に早ければ金曜日にでも帰ってくるのかと思うと、またわたしが鬼のような形相で怒りまくる日々が戻ってくると思うと自分が恐い。そうなると胃がまたもっと悪くなるんじゃないかと、それも恐い。
人にどうしたらいい?って聞いたって、わかんないよね。
当事者のわたしがわかんないんだから。どうするかはわたしにしかわかんないんだし。
きのうみたいに裁縫したりする余裕が欲しい。余裕があるからやれるって分けでもないんだけど。
なにも心配せずに、体をリラックスさせて、ぼーっとしてたいよ。