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小鉢上げ って?!

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今年、今日、はじめて知った言葉、「小鉢上げ」 がびーん!

これでまた作業が複雑になってしまいました・・・

どういう意味かというと、双葉が開いたばかりの朝顔を、本植えする前に小さな植木鉢に1つずつ移すという作業であります。

トマトの苗解体で、小さな苗でも根っこのほうはすごいことになっていて、絡まりあってるのは知っていたので、そろそろ大きくなった双葉は本チャンの植木鉢に植えてしまおう!と思っていた矢先にこの言葉を知りました。まー、タイミング的にはよかったともいえるのですが。

去年紺色の小さい花から取った種が一番大きくなっていたので、まずはそのポットからやってみました。でもこれって芽が6つも生えていて、3つ種を蒔くのを間違えて2回蒔いちゃったのかも知れません。モハヤ知る由も有りませんがー。

10cmくらいのビニールポットに6つの双葉だから、こりゃまたトマトの時のように大変だなと思いましたが、案の定根っこはもう太いのが鉢底ネットからはみ出すほど元気に土の中で育ってて、でもトマトよりやや太かったので、大事に大事に土をほぐし、どうにか離ればなれになって頂きました。おもしろいから写真を撮りたかったのですが、手がドロドロだったので諦めました。

こういう作業をまたぜーんぶするかと思うと、知ってれば種は1つぶずつポットに蒔いたのにと思いました。来年からはそうします。

双葉をそのままおしゃれな植木鉢に植えちゃえばいいじゃんと思いますが、そこがまた深いところで、大きな鉢にすぐ植えてしまうと、根は広く外へ張っていき、中心部が弱くなるのだそうです。(でも去年は初めっから植木鉢に種蒔いて、結構楽しめたけどな)

でも小鉢上げをすると、小さな鉢のなかで根っこがいっぱい成長し、鉢のなかをグルグルめぐるように根を張り、中心の根っこもしっかりするのだそうです。うーーーむ。

よくポットに入った花の苗なんか買ったとき、植木鉢に植えようとひっくり返して出したらもう根がグルグルで、「あー、もう根詰まり起こしてる!ひどいひどい」と思ってきましたが、それは素人の物の見方だったのですね。

とにかく仲良く寄りそって生きている双葉ちゃんたちを無理矢理引き離し、小鉢上げをしていたら、先日36枚入りを買ったビニールポットが全然足りなくなり、でも育っちゃってる双葉ちゃんはまだまだたくさんいるので、明日はまたホームセンターへ買いにいかねばなりません。初めはAmazonで10枚入りのを400円ぐらいで買ったのですが、ホームセンターで買ったら36枚で300円くらい。

トマトやゴーヤの支柱をどうするかもまだ決めてないし、お金掛からないようで結構掛かりますね。やり方が間違っているのんでしょうね。

 

最近、家に帰るとベランダでぼーっとしたり、作業したり、過ごす時間がとても長いです。

さっきも一心不乱でゾーンに突入し、小鉢上げを10個以上してたのですが、この植物を育てることの魅力ってなんなんでしょうね?

わたしは何かを作ることが好きな人間だと思います。料理も好きで変なとこに異常にこだわってやるし、縫いものもそんなやらないけど好きだし。共通点があるようで、また全く違う作業のような気もする。

共通するのは、まず理想や目標があり、それに向かって作業するってとこですね。こういう味にしたいとか、こういう盛りつけにしたいとか、こんな雰囲気のワンピースが着たいとかね。朝顔も一応目標があるんです。立派なグリーンカーテンに仕立てたいという思いとともに、以前見たある写真のように仕立てたいという目標が今年はあります。だから今は部品を1こ1こ育ててるようなものです。

でも、部品とはいえ、朝顔やトマトやゴーヤは命であり、育っていくということが料理や裁縫とは違う醍醐味かな。料理の素材だって布だって、決して自分の思うようにはなってくれないけど、種から生まれてきたものたちは、人格のように植物格とかうか、命の存在感を持っている。わたしだけの力じゃなく、みんな本人たちの意思?とか環境とかで、どう育っていくか分からない。

育っている植物たちは、最近わたしが気になっていることば、わたしが失おうとしていて失いたくないと思っているもの 「可能性」 可能性を持っている。

たかが園芸初心者用植物を夏場育ててるだけで、どうしてこんな真剣になるのかなあ〜

でももっとマニアックな人はもちろん沢山いるようですが。

自分のことの家族のことも、他人のことも考えず、ベランダで植物たちと過ごしているのはよいちもきーです!