更につづく

さっきカンブリアで伊東屋の回を見た。

商品量を1/3だか1/5に減らしたと知ってちょっと驚き。これまでは物があり過ぎてお客さんが物と出会うチャンスが生まれにくかった。リニューアルでは出会いが生まれるようにしたと社長は話していた。

わたしはかつてある大規模小売店、普通にいえばデパートが魅力を失っていく様を身近に見たことがある。その店は今でも存在しているが、この前いったら空調のせいじゃなく、ヒンヤリとした空気がどこのフロアでも流れていた。

わたしはそこの店の一番の魅力は、物がゴチャゴチャあることだと思っていた。なんだか面白いものがゴチャゴチャあり、人はその中から面白いものを探し出すのが楽しかったと思っていた。多分それは本当のことだと思う。

伊東屋には人が居心地よいような新しい試みも溢れているし、相変わらず魅力に変わりはないと思うが、あのゴチャゴチャした中から自分のまさに探していたものや、あーこれおもしろーい!というものを自分だけが発見したという気分にさせるところが薄くなったんじゃないかという気もする。こんなによいものが、こんなにあなたに分かり易くここにありますよ!ってのは、探したがりが多いとしたらどーなんだろうって。

上のカフェ、というかレストランはリニューアル後もあるらしく、行ってみたいけど当分は近寄らないほうがいいな。

なんにせよ、自社ビルを建て替えて、また全部自分の会社の売場として使うということは銀座内ではもうほとんど見られないことじゃないかと思う。お店はよそへいったり、どこかのフロアだけにしてそれ以外は全部テナントに貸したり。

そうしない伊東屋には、これからも頑張って欲しいなー。って

 

前の仕事も、前の前の仕事の時も、ノートと4色ボールペンはほとんど伊東屋で買ったと思う。一部はプラザ。

ノートはもう使わないけど、ボールペンもその職場のことを思い出されてしまい、使ってるけど、ほんとはあまり使いたくない。

 

駄情報について。

Facebookを見ていると、「駄情報ばっかだなー」とよく思う。特に生活を楽しくする知恵とか、受け売りだったり、外国雑誌情報の横流しだったり、内容を見てみても実際にやったことはほとんどない。ただ見て、はーっと思って流れていくだけ。そういう隙間を埋めるだけみたいな意味のない情報を、わたしは駄情報を呼んでいる。

さっき見たgrapeだったかな、ページに生後2ヶ月の栄養失調の赤ちゃんが、みんなの寄付による栄養補給で健康になり、こどもらしい笑いをを取り戻した。しかし何ヶ月後かに肺炎と何かの病気で死んでしまった。だから赤ちゃんが栄養をとれるよう、ワンクリックで10円募金しましょう!というメッセージがその画像の前にでた。骨と皮の黒人の赤ちゃんの姿はあまりに痛々しく、一度元気になったのに衛生環境が悪いためなくなってしまったという話も辛い話だ。FBの友達もクリックしていた。わたしもしようかと思ったが止めた。募金の写真には孫正義の画像もくっついていたが、いいね!をワンクリックするだけで、どうしてわたしの10円がその子たちのところへ届くのか、さっぱり分からなかったからだ。まず、カード決済になるのか?そこさえ分からない。もっとちゃんと読めば分かったのかも知れないが、募金を募るならその方法や過程を一発で理解できるように明確にすべきだ。

少し前、貧困な家の小さな子供が、夜マックの近くに小さな台を置いて灯りをとり勉強しているという「涙なくしては語れない」画像情報があった。どこかの誰かがたまたま見つけて写真を撮り、ネットにアップしたら何万のシェアがあったとか。

わたしはその画像を見て、すぐに作り物の写真だろうと思った。そうじゃないかもしれないけど、今の世の中お涙ちょうだいの画像をパッとつくって配信することなんて、小学生にでもできる。わたしはよいアイディアがないから駄目だけど。

よくあとでやらせだってバレるって話あるじゃないですか。

そうするとそういう画像も、お部屋のインテリアネタとおなじで、わたしには駄情報になってしまう。

 

黒人の痩せた男の子の画像に募金のクリックした友達は、少し前「確かな情報だけが見られるサイトがあったら教えてください」と投稿していた。なんで頭のいい彼女がと思ったが、今100ぱー信頼出来る情報サイトなんてないんじゃない?というか、あなたが何を信じるかが問題。玉石混合の情報嵐のなかで、真実かどうかを見分けるのは難しいけど、少なくとも自分が信頼のおける情報を選ぶということは出来るはず。

人任せにしてたら、駄情報に侵されるだけでっす。

寝る。