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逆流

Untitled

 

 

夜の8時頃、汐留の地下街を高層ビル群に向かって歩く。

ビル側からは、ちょい残帰りか、少し飲んだか、男女入り混ぜ大勢の人が改札に向かい、こちらに向かって歩いてくる。

仕事に疲れた顔つきの人、仕事のグチをいってる2人連れ、たわいのないことを楽しそうにしゃべっている数人の女性たち。ギャザースカートに低めのヒール。男性はカジュアルなビジネススタイル。電通や日テレの街だからね。

わたしはスッピン、ユニクロのトレーナーにスキニーパンツ、スニーカーで、3coins shopやパン屋やkaldi、スーパーなど大きなビニール袋を3つ提げ、重みでふらふら逆走する。わたしだけが異端な気がするのは、仕方ないだろう。

月々お給料をもらってセレクトショップの服を着て通勤するなんてこと、わたしにはもうあり得ないだろうなと思える。

もし、わたしがどこか上場企業あたりの部長くらいの職で、母親が認知症になり介護のために致し方なく仕事を辞めたというなら、また気持ちは変わるだろう。わたしよりもっと敗北感は強いかもしれない。わたしだって心の中に常に敗北感は抱えているが。

 

家に帰ってテレビを観ていたら、幸せも不幸せも、それはその人の受けとり方次第という話をやっていた。ある出来事を幸せだと思えば、それは思っているというだけのことで、同様に不幸だと思えば不幸だが、不幸だと思わなければ別にそうでもないと。

また、持っているお金が大きいほど、それを盗まれたりしなかと人は不安になるそうだ、だったらないほうが不安になんてならないから幸せだという話もあった。有名な落語にもおなじ話があるそうだ。

洞窟おやじの青年期もおなじだね。お金を持ってしまうと、ではこれがなくなってしまったら僕はどこへいったらいいのか?と不安になっちゃったんだろうね。

 

汐留の地下街を歩くビジネスピープルたちには、わたしのように時間はない。でもストレスは多い。わたしはお金はないけど、好きなところへフラフラ行ったり、昼間っから上島珈琲なんかでコーヒー飲んでたりする時間の自由はあるし、嫌の上司や同僚の言葉にイライラすることもない。

 

ただ、最近は死の恐怖がつきまとう。

身近に急接近している存在の人がいると、それに引きずられてしまい、毎日のように、1日何回も、もう終わりなんじゃないかと思えてしまうことがある。単に存在の薄さからくることなのかも知れないが。

母親は母親で体調が悪いと恐怖を確実に感じているのが分かる。昔70を超えたわたしの叔父もそんなことがあった。50代半ばでこれだか感じているのだから、70代、80代なら想像を越えるものがあるだろう。

それを解消されることは中々難しいのだが、わたしにしても母親にしても、まず考えないこと。ドンシンクフィール!とはいうが、感じもしないほうがいい。だから毎日冗談を沢山いって笑って、考える隙を与えないようにしている。自分のためにも。

考えなければ、悲しくも、不幸でも、恐怖でもないのだ。

完全には無理だけど。